« 放射線量について(5/4 5時過ぎ時点) | トップページ | 放射線量について(5/4 12時過ぎ時点) »

2011年5月 4日 (水)

端午の節句 実は女性のお祭りだった?!

明日、5月5日は端午の節句。

日本では端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習があり、国民の祝日「こどもの日」になっています。

旧暦では午の月は5月にあたり、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていました。

のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったといわれています。

端午の節句には、武者人形を飾り、鯉のぼりをたてて、ちまきや柏餅を食べます。

ところが、この行事は、もともと女性が小屋にこもって田の神をまつるものであったようです。

旧暦の5月は今の6月にあたり、その時の雨の量によって稲の収穫が決まる大事な時期。

そこで、女性が仮小屋や神社の拝殿にこもって水が豊富に得られるように祈りました。

このような女性が農耕伸を祭る風習は弥生時代の稲作の広まりとともにできたといわれています。

魏志倭人伝に出てくる邪馬台国の卑弥呼は、正にその役目を担っていたのです。

農村では、近年まで、5月5日に村の女性が小屋に集って行う行事が残っていました。

その小屋には、菖蒲やよもぎが魔よけに飾られ、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習です。

このように、端午の節句の原型は、女性が農村の田の神をまつる行事だったのです。

その行事が宮廷において、中国の端午の行事と融合しました。

陽数(奇数)を重んじる中国人は、1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日を祝いの日としていました。

5月5日には、身の覚えのない罪をこうむって中国湖南省にある川に身を投じた屈原(くつげん)という政治家の魂を慰める行事が開かれていました。

この日に、よもぎで作った人形を飾り、ちまきを食べると健康になれるとされていました。

奈良時代の朝廷では、5月5日に中国風の端午の宴が行われていました。

鎌倉時代以降は、宮廷の端午の行事が小規模になっていき、かわって武家の端午の宴会が盛んになっていきました。

それは、菖蒲の祝いが尚武に通じるめでたいものとされたからです。

武家では、馬術、弓術などの競技を行い、酒宴を開きました。

飾り付けも、菖蒲とよもぎだけだったのが、室町時代には徐々に増えていきました。

農村でも公家のよもぎ人形を真似て女性の家の前に魔よけのわら人形立てる風習ができました。

それは恐ろしい顔の絵をつけ刀をさしたものでした。

これが武者人形の原型です。

武者人形と共に5色の幟(のぼり)が飾られるようになりました。

それは陰陽道の五行の色(青、赤、黄、白、黒)の旗が魔よけになるという考え方からきています。

これが吹流しの原型です。

そしてまもなく鯉の絵を描いた幟ができ、それが鯉を形どる鯉幟になっていったのです。

そして、鯉が滝を上ると竜になるという俗信から、鯉幟は男子の出世を祝福するめでたいものだとされました。

やがて江戸時代にはいると、5月5日は徳川幕府の重要な式日に定められ、大名や旗本が、式服で江戸城に参り、将軍にお祝いを奉じるようになりました。

また、将軍に男の子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印(うましるし)や幟を立てて祝いました。

こうして調べてみると、一つひとつの事柄には必ず何かしらの意味があり面白いですよね。

子どもに話してあげるとお父さんの株が上がるかも・・・(笑)

|

« 放射線量について(5/4 5時過ぎ時点) | トップページ | 放射線量について(5/4 12時過ぎ時点) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事