« 放射線量について(5/10 5:30頃時点) | トップページ | 福島原発3号機 333.9度まで上昇!! »

2011年5月10日 (火)

原発事故発生後の対応 システム無し

今回の福島第一原発事故後の対応に関して、中部大学の武田邦彦教授が「原発の4重苦」と題してご自身のブログにコメントを載せておられます。

地方自治体や東京電力では何もできない(してくれない)ことがよくわかります。

悲しい事ですが、結局は、自分自身で守るしかないということのようです・・・。

武田教授のブログを抜粋引用させていただきます。

-----ここから(抜粋、一部誤字修正)-----

(前略)

わたくしも最近まで原発の危険性というのは、

第1に、原子炉だけを守って電源や熱交換器等のその他の機械について安全性が十分に確保されていなかったこと、

第2に、想定外のことについてどのように安全性を確保するかということ、

の二つが重要なことであると考えていました。

ところがそれでは甘いことがわかってきました。

つまり、原発の危険性の第3は、原発に事故が起こった時に、誰が住民を避難させるのか、どうしたら安全性を確保することのかについて、何のシステムも対策もなされていないということです。

あるところで、自治体と電力会社の会議がありました。

その会議で、わたくしは次のような質問をしました。

1.もしも原発が事故を起こし、水源が汚れて市民が水を飲めなくなったときに、電力会社は住民のためにペットボトルを用意していますか?

2.もしも原発が事故を起こし、児童が被曝しそうになったので、疎開させようということになった時に備えて、電力会社は疎開先の学校を準備していますか?

3. もしも原発が事故を起こし、土地が汚れたときに、電力会社は土地を綺麗にしにきてくれますか?

わたくしのこの三つの質問に対して、電力会社はいずれも「ノー」と答えました。

この答えは、福島原発の事故の状態を見ているとはっきりとわかっていることでもあります。

そこでわたくしはさらに確認のために、

「電力会社は原発を運転しているのに、原発が事故を起こして汚いものが広く散らばってもそれを片付けようという意思はないのですか?それは法律的に義務がないという意味ですか、それとも、企業の社会的責任として、行わなくてもいいというお考えですか。」

これに対しては電力会社は答えてくれませんでした。

現代の社会でちゃんとした会社が自分の製品が欠陥であっても、知らない顔するということは、ほとんど考えられません。

しかしそれが、原発では現実なのです。

しばらくたって、電力会社の人は、「損害が起きた時の訴訟の対象は電力会社で、それは全部引き受ける積もりです」とお答えになりました。

そこで私が、「被曝をして被害を受けてから損害賠償しても意味がないのではないか、むしろ被曝をしないように全力を尽くすべきではないか」と申上げました。

その後の議論は割愛するとして、会議が終わったとわたくしは自治体の人に、

「それでは住民を助けるのは自治体の役目でしょうか?」

と聞きました。自治体の人は、

「毎日、住民のサービスをしているのですが、法律的には地方自治体には原子力関係の危険を防止するような仕事ができないのです。原子力関係はすべて国がするようになっているのです。」

とお答えになりました。

つまり現在の日本では、これだけの数の原発があり、福島原発のような事件が起こっているにもかかわらず、原発事故が起こっても、電力会社も自治体も住民を救うことができないというシステムなのです。

人間のやることには何か間違いがあることがあります。

その時に、その損害をできるだけ小さくするようにする手段があります。

例えば海の上を航行する船は、時々、遭難をしますが、必ずボートで逃げられるようになっています。

ボートで全員が救われるとは限りませんが、かなりの数の人がそれで命が救われるのです。

ところが、原発にそういうシステム自体がないということになると、どんなに安全に作っても危険であるということになります。

無条件で危険となります。

これだけをとっても現在、日本の原発は「安全なものを一つもない」ということが言えると思います。

4番目の危険は、さらに人間に強く関係しています。

それは、ウソというと少し表現が強すぎますが、放射線による被曝を少なく見せたり、原発で起こっていることを軽く表現したり、またこれから起こりそうな危険が生じても、できるだけ外部に知らせず内部だけで処理しようとすることです。

一つの企業が自分の会社を守るために、できるだけ隠すということは当たり前のように思いますが、私が若い頃ある化学工業に勤めた時には全く違いました。

新入社員のわたくしは何回も教育を受けましたが、

「仮に、どんなに小さな小火(ぼや)が起き、それを自分で消せると思っても、まずは消防に電話をしろ」

と教育されました。

その工場は大きかったので、工場の中に2台の消防車が常駐してましたが、そこに電話するのではなく「市の消防署に電話するように」との教育を受けたのです。

その理由は、

「わたくしたちの工場は社会的存在であり、社会の人に危険を及ぼしてはいけないので、何が何でも市の消防に最初に通報し、そのあと、工場内の専用消防に電話をしろ」

と言われたのです。

これが今から40年程前であることを考えると、現在の方が社会における企業の責任が後退しているように感じられます。

せっかく日本社会に良質の電気を供給できる原子力発電も、また、もし原子力発電の技術が向上して安全な原子力発電ができたとしても、このような4つの大きな欠陥を持っているようでは、安全な原発とは到底言えません。

その多くは人災としての意味を持っています。

つまり、現在の原発問題は、原発自体の技術問題もありますが、それより多くが「社会のひずみ」がもたらしているもの、社会が「誠実性」を欠いているところに真の問題点が存在すると考えられます。

その中でも、「事故が起きても国民を守る担当が決まっていない」ということが長く続いてきたのは、一体何を意味しているのでしょうか。

このような状態では、高温ガス炉でもトリウム溶融塩炉でも「安全な原子炉」などというものはあり得るはずもないのです。

-----ここまで-----

|

« 放射線量について(5/10 5:30頃時点) | トップページ | 福島原発3号機 333.9度まで上昇!! »

原発・放射能」カテゴリの記事