指導力不足教員。私が子供の頃には馴染みがなかった言葉だ。
それは、児童、生徒に対する指導力が不足し、「指導が適切に行えない」「教員としての資質に欠ける」等とされる教員のことを言うそうだ。
指導が適切に行えないとは、生徒・保護者とコミュニケーションが取れない、生徒と目を合わせられない(あいさつや会話がおぼつかない)場合があたり、教員としての資質に欠けるとは、上司の指導や命令を無視する、他の教員との協調性に欠ける、体罰を行う場合が当たるそうだ。
そのような状況になった原因はなんだろう。
一説によれば、小中学校などで、長年小中学生と交流・接し続けるうちに、教員本人自身の内部的精神構造が小中学生のパターンに同化してしまい、生徒の指導上や本人の教員的社会的生活上支障を来してくるということがあるらしい。
また、児童の問題に幼稚な視点で教員に激しく抗議を入れる親や、自己中心的で理不尽な要求を繰り返す「モンスターペアレント」も増えており、教員にかなりのプレッシャーがかかっていることも一因であろう。そのため、ノイローゼに陥る教員も多く、教職員が個人で訴訟費用保険(教職員賠償責任保険)に入るケースも増加しており、2007年には東京都の公立校の教職員の3分の1がこうした保険に入っていると報道されている。
何という時代になったものか。
一、二週間ほど前だろうか、
-指導力不足教員2年連続減少 8割以上はベテラン教師-
という記事があった。
その記事によると、06年度に「指導力不足」と認定された公立学校の教員は前年度比56人減の450人となり2年連続で減少したことのこと。
このうち、06年度に新たに認定された教員は同34人減の212人だった。
指導力不足教員の内訳は、小学校220人、中学校119人、高校72人などで、40~50代のベテラン教師が8割以上を占めているという。
現代っ子が扱いづらくなっているのか、ベテラン教師の適応能力が欠如してきているのか・・・。
その指導力不足教員は、誰が認定しているかというと、各教委が独自に定義・認定しているという。
しかし、その委員は教育委員会の人間と教育委員会が推薦する弁護士等であり、外国のように労働組合や市民団体の代表といった違った立場の委員は入っていない。その上委員名は全て非公表、秘密である。
このため本当に指導力が不足している教員よりも、教育委員会や校長による「邪魔」な教師を学校から追放する目的や組合つぶしを目的とした申請が行われ,判定委員会がそれを認定するというケースがみられたり、精神的な疾患を発症し療養が必要な教員に対して研修をさせる判定をするなど、そのあり方を疑問視する声が最近高まっているようだ。
このような事態を踏まえ、文科省は8月末に有識者会議を設置して統一的な指針作りを進めているそうである。
文科省は、指導力不足教員調査の目的を以下のように発表している。
学校教育の成否は、学校教育の直接の担い手である教員の資質能力に負うところが大きいことから、教員として適格な人材を確保することは重要な課題である。このような中、児童生徒との適切な関係を築くことができないなどの指導力が不足している教員の存在は、児童生徒に大きな影響を与えるのみならず、保護者等の公立学校への信頼を大きく損なうものである。本調査は、各教育委員会におけるこのような人事管理システムのより一層の運用を促進するために、とりまとめたものである。(要約)
文科省が意図するように、教員の資質能力が向上することを期待したいが、指導力不足教員以外は「指導力十分な教員」と考えてよいのだろうか。指導力不足教員を是正、底上げすることも大事であるが、それ以外の教員の時代の変化に対応した質の向上も図っていくことも重要ではないか。
「親学」という言葉が一時紙面を賑わしたが、「教育の原点は家庭にある」といわれるように、子どもにとって、親は人生最初の教師である。教師に全てを任せるのではく、家庭、地域、社会が一体となった教育が今後重要性を増すのではなかろうか。
学校教育は、文科省、教育委員会、学校だけが関わる問題ではなく、家庭、地域、社会が主体的に係っていくべきである。
その結果は子ども、そして社会に跳ね返ってくるものだから。
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